ミュシャ展「スラヴ叙事詩」

華麗な女性たちを描いたポスター画等で大人気だったミュシャ(チェコ語の発音はムハ。1860-1939)が、パリでの名声を捨てて故郷のチェコに帰り、16年の歳月をかけてスラヴ民族の苦難の歴史を描いた「スラヴ叙事詩」。

その全20点が、チェコ以外で世界で初めて日本の「ミュシャ展」で公開され、60万人以上(6月2日時点)が訪れました。

完成時にはチェコが独立していたことで人々の関心も薄く、80年もほとんど人目に触れることがなかったという数奇な運命を持つこの超大作を、最終日のギリギリに私も観に行きました。

展示室に入って最初に目に飛び込んで来るのは「原故郷のスラヴ民族」(1912)。

手前には他民族の侵入を受けて草陰に身を隠す、白い服を着たスラヴ民族の祖先(3-6世紀)の男女。

左奥の暗闇に浮かぶのは赤く燃える炎と他民族の軍隊。

画面の右上にはスラヴ民族の司祭が大きく浮かび、神に慈悲を乞うています。しかしここでも「沈黙」同様、神は現実的には何もしてくれません。

そんな状況の中で、恐怖と絶望で空洞のようになった男性の眼がなんとも凄まじい。近くで観ても離れて観ても、こちらの心を掴んで離しません。

これを観て(大きなお世話と思いつつ)私が一番に感じたのは、「これが完成した時点で発表した方が良かったのでは?」ということです。

それだけこの作品の持つ意味とインパクトは大きく、もし全点描き上げる前に公開していたら、チェコの人々も次の作品を心待ちにしたのではないでしょうか。

そして現在も世界中の人々が知っていて、遠くからもこの絵を観るために集まり、それぞれに考え、示唆を得ることのできる作品となっていたのではないかと思うのです(でもそうしなかったのが芸術家というものかも。。)

その他に強く感じたのは、20点の中には聖職者や皇帝などの王族、軍の指導者などの権威者や権力者が多く描かれているものの、いずれもぼんやりとして存在感が薄いこと。

ミュシャはアトリエを置いたズビロフ城で、地元住民をモデルにして「スラヴ叙事詩」を描いたそうです。きっと彼は「スラヴ民族とその歴史の主役は一般庶民だ」と、強く思っていたのだろうと思います

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