「蝶々夫人」の強さ

今年2月に東京や金沢で上映された、笈田ヨシさん演出のオペラ「蝶々夫人」。木下長宏先生のブログを読んで、観たい観たいと思っていたところ、NHKBSのプレミアムシアターで4月17日深夜に上映されました。

原作は明治時代ですが、今回の設定は昭和初期。

没落した武士の娘で芸者の蝶々さん(当時15歳)が、アメリカ海軍士官のピンカートンと結婚。とは言っても、いつでも破棄できる疑似結婚なのですが、ご丁寧に蝶々さんの親類縁者やアメリカ領事を呼んで結婚式を上げます。

ここで彼女は仏教を捨ててキリスト教に改宗。集まった親類縁者一同から絶縁されてしまいます。けれども、それでもいいという蝶々さん(第1幕)

アメリカに帰ったピンカートンを、蝶々さんは貧困の中(仕送りはないらしい)、忠実なお手伝いのスズキと3年間待ち暮らします。その間に、なんと彼の子どもも生んでいました(第2幕)

ようやく日本に来たピンカートンは、1年前に結婚したアメリカ人の妻を同伴。子どものことを人づてに知るや、彼女を蝶々さんの家に置いて自分はどこかに逃げてしまいます。でも子どもは引き取って育てると言う。

ピンカートン夫人は蝶々さんに謝り(彼女は悪くないのに)、子どもを私に預けてと説得。蝶々さんは彼女に子どもを託し、そして自分は父の形見の短刀を握りしめて。。(第3幕)というストーリーです。


頭から終わりまでピンカートンが本当にヤな感じ。そしてそんな彼に夢中な蝶々さんの、1幕目の危なっかしさと、2幕目の狂気をはらんだ「待つ女」という感じにも、「まだ若いし、現代じゃないし」と思いつつ、イライライラ。。

ヨシさんは「蝶々さんは自分の意志を貫く強い人」とインタビューで話していますが、1・2幕の彼女の強さというのが、はじめはよくわかりませんでした。けれども改めて考えて、蝶々さんの「強さ」は変化するのだと納得。

まず第1幕では、ほとんど知らない外国の男を信用し、全てを捨てて自分を丸ごと投げ出す強さ。

第2幕は、自分の不幸な境遇を絶対に認めまいとする強さ。

ただここまではやはり、「弱い(立場にある)人の、(強者を)受け入れるしかない(哀しい)強さ」のように感じます。

けれども、第3幕も後半になると、俄然違って来る。ここでの蝶々さんは、誰がどこからどう見ても不幸のドン底。そのギリギリ追い詰められたところで、彼女の不屈の強さが立ち上がるのです。

主人の境遇を嘆くスズキ(素敵な鳥木弥生さん!)に語り掛ける時の、落ち着いて威厳のある様子(「ローマの休日」の終盤のアン王女を思い出しました)。

そして後生大事に掲げていた星条旗を床に投げ出し、その上をノシノシと歩く表情からは、「絶対に生き抜いてやる!」という蝶々さんの魂の叫びが聞こえて来るようです。

演じる中嶋彰子さんの堂々とした存在感が、大人になった蝶々さんに重なって、特大の花火のように炸裂本当に素晴らしい

「蝶々夫人」のラストは自害というのが通例のようですが、私はこの蝶々さんはきっと死なないだろうと確信しました。


蝶々さんの「強さ」のことばかりを書きましたが、西洋と東洋、富める者と貧しき者、強者と弱者。そういうものの関係を観客がどう感じるか。ヨシさん版の「蝶々夫人」はそんな問いを、私たちに投げかけています。

この答えのひとつのヒントが、ヨシさんの戦後すぐの体験にあるのではないかと私は思う。

戦中とはまさに一変した状況の中で、他の子どもたちのように米兵に「ギブ・ミー・チョコレート!」とねだれなかったというヨシさん。

その時に感じた自意識や様々な想いが、この「蝶々夫人」の根底に脈々と流れている。ひとりひとりの出演者がしっかりそれを掴み取り、全力で演じ切っていると感じました。

本当にすごいものを観せてもらいました

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ちょっと見えにくいですが白い蝶が止まっています








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